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627件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-05-11 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第11号

金沢大学は、各地域に設置されている国立大学と同様、戦前ナンバースクールでございました第四高等学校を中核として、当時の医学専門学校、高等師範学校そして高等工業高校等が母体となって昭和二十四年に設置をされた、現在では収容定員約一万名、一万余名の中規模の総合大学でございます。戦後の復興からの立ち上がり、そして高度経済成長期を経て八学部二十五学科・課程を擁する大学へと発展してまいりました。  

山崎光悦

2021-04-20 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第11号

加えて、設立当初から、他の帝国大学門戸を閉ざしていた、旧制高校以外の、例えば高等師範学校などの卒業生に門戸を開き、また、留学生も多く受け入れてまいったところでございます。  このように、門戸開放理念というのは、今の言葉で言えばダイバーシティーでございまして、本学はダイバーシティー理念に掲げ、一世紀以上にわたって実践してまいったということでございます。  

大野英男

2021-03-12 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第4号

でも、それだけではなくて、百五十年前の最先端だった紙の教科書、教材、黒板と白墨、ノートと鉛筆を最大限に生かした質の高い一斉授業を担ってきたのは、師範学校や地元の国立大学教育学部出身の均質な教師、そして、新卒一括採用終身雇用、年功序列といった同一性の高い教員集団とそれを支えるシステムでございました。

浮島智子

2020-02-25 第201回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

かつては、師範学校の例にあるように、優秀でも貧しい家庭の子弟を救済しつつ、将来の人材を育成する教育分野に優秀な人材を集めることができました。現代においては、例えば、AIや宇宙、医療、保育、介護といった、今後社会として人材をふやしていく必要がある分野に優秀な人材が集まるように、めり張りをつけて無償化することとしてはどうでしょうか。  大臣、御所見をお聞かせください。

山田賢司

2017-05-16 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

つまり、教育勅語で言う親孝行、夫婦仲よくの思想的な背景というのは、またそれに基づく家族のありようというのは、現憲法国民主権基本的人権の尊重と正反対の内容であることは、この「勅語衍義」という解説書、当時師範学校中学校で使われたこれで見ても正反対であることが明らかであると思います。

神本美恵子

2017-04-13 第193回国会 参議院 内閣委員会 第4号

これは「勅語衍義」といって、教育勅語が出された後に、井上哲次郎という当時の文部省が依頼した学者、文学博士なんですけれども、その方を中心として編さんされた衍義、つまり中学校師範学校でこれを基に教育勅語を解説し、授業の中で、あるいは研修で使われたというもので、教育勅語とはこういう解釈するんですよというような説明がされているものであります。  「夫婦相和シ」というところ。

神本美恵子

2017-04-13 第193回国会 参議院 内閣委員会 第4号

そして、これが師範学校で当時の先生方に解説されて教えられて子供にそれが伝えられたということですので、紛れもなくここで言う教育勅語の中の「夫婦相和シ」というのはこういう意味だということを是非皆さんには御理解いただきたいと思います。  時間がもうなくなってまいりましたけれども、次に、元に戻りますが、質問主意書への答弁書ということで、これについて、答弁書では当時の森戸文部大臣言葉を引用されております。

神本美恵子

2017-02-22 第193回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

昔は、師範学校制度がありまして、ある程度の資金を支給されながら、奨学金みたいなものですね、師範になって、そして、学校先生の資格を取って、何と花のお江戸のど真ん中の中央区の泰明小学校の教諭としてずっと勤めていたんですよ。そのときに我が母と出会いまして、そして私が生まれたわけでございますけれども、そうした意味では、父を育んだ福島の自然、風土、これは私どもも大事にしています。  

大西英男

2015-03-10 第189回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

うちの父は、会津でも、福島のチベットと言われる只見の出身で、そして師範学校を出て東京小学校で教えているときに、母との間で淡い恋が生まれて東京に定着をしたという血が流れているんですね。  会津歴史を振り返ってみると、悲惨ですよ。いわれのなき賊軍として、会津人たちは塗炭の苦しみを強いられたんですね。最も勤王家であった松平容保公が逆賊とされた。あの歴史の非情さというのをつくづく感じます。

大西英男

2012-03-21 第180回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

そして、みずからも台湾師範学校出身でありますから、尊敬する政治家屋良朝苗先生と言い、そして瀬長亀次郎先生を尊敬する、そういうふうなことを沖縄政治のスタンスでは言っておりました。本土の自民党の政治家の中で、瀬長先生が亡くなっておうちにまで手を合わせに行ったのは山中先生しかいないんではないかと思いますね。  二つ目に、沖縄県民の視点を忘れるなということをよく言っていました。

下地幹郎

2012-03-05 第180回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

戦前でいうと、陸軍士官学校とか師範学校とか、先生とか兵隊さんになる人は優遇するというのは当たり前のようにやっていたわけです。戦前がいいとは言いませんけれども、考え方としては、社会に必要とされている分野の学生を養成するためには、多少、温度差というか、優遇度合いが違ってもいいんじゃないかと思います。

山内康一

2010-04-12 第174回国会 参議院 行政監視委員会 第3号

日本歴史を見ると、明治は国をつくっていくことから、帝国陸海軍もそういう風潮にあったけれども、師範学校ができて陸軍大学ができてくると、金時計もらったとかもらわぬとか、本当に現場の臨場感ある必要性から人事配置をしていくということから離れていくということは、一つ傾向としてやっぱりあるんだと。

加藤敏幸

2010-03-10 第174回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号

それはやはり、戦前師範学校というのはまさにプロ教員をつくってきた。今師範学校を再生しろということは申し上げませんが、例えば旧制中学に入れる能力がありますよ、しかし残念ながら学資が足りない、自分のうちはそれだけ豊かでない。そうすると何をするか。だったら給料をくれる師範学校に行きましょうかと。文系も理系も関係なく師範学校に行って、そこで五年間、まさにプロ教師として学んできた。  

遠藤利明

2009-11-18 第173回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号

もう一つは、世の中がみんな大学を出てきているものですから、先生威厳威厳というのは、何も学校を出たから威厳があるわけではありませんが、しかし、かつて師範学校なんというのは、旧制中学と並び称されて優秀な人が入ってきましたよ。ですから、ほとんどの親は旧制中学とかそういうところに入らないわけですから、もうそれだけでも外形的にも信頼感があった。  

遠藤利明

2009-11-17 第173回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

実は、戦前師範学校時代においてすら師範学校出の教師が四九%を超えたことは一度もありませんでした。開放制の下で育てられた教師たちが五〇%以上を担っていたというのが現実でございました。そして、戦後、ある方向に、言わば全体主義的な形に国が一つ教育指針を作ってしまうよりも、多様な教師をつくる方が民主主義的ではないかということで開放制が導入されたということもまた歴史の事実であったろうと思います。  

谷岡郁子

2009-11-17 第173回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

どうしてもすぐ目の前にある問題がせっぱ詰まっているから解決しなければならないということの、テクニカルな手法というのがどうしても次から次からやってくるということはありますが、そういう意味で、今度の教員免許制の問題も、基本的にはそういう求められる先生像ということの中で、たちまち身に付けてほしいことも含めてレベルアップをしたいということでどうあるべきかという議論をしておるわけですが、そのときに当然ながら、今、昔の師範学校時代

川端達夫

2009-03-27 第171回国会 衆議院 経済産業委員会 第4号

その人たちに三カ月教えて、師範学校をやりますと、スーパーマーケットでも教えられる人になります。  要するに、こうやって業種を超えてものづくり知識をどんどん広げていく、日本全体によい流れをつくっていく。これは人しかできません。これはロボットにはできません。ですから、ここのところにぜひお金を少しつけていただきたい。  つまり、大企業はまず師範学校をつくっていただきたい。

藤本隆宏

2009-03-27 第171回国会 衆議院 経済産業委員会 第4号

師範学校をやって中小企業にも伝達すると。先生のおっしゃるものづくり設計立国とおっしゃいますが、それは要するに、お客さんが何を欲しているのか、何がお客さんにとって付加価値であるかということを情報として持って、それを物やサービスに落とし込んで、その物やサービスを今度は市場に売り出す、これ全体のことをおっしゃっているというふうに論文とかで拝見させてもらっているんです。

北神圭朗